中学1年の社会の歴史分野で学習する「室町時代」
前回の「鎌倉時代のまとめ③ 元寇と鎌倉幕府の滅亡」では、モンゴル軍が日本に攻めてきた元寇と、鎌倉幕府が滅亡するプロセスについて詳しく解説しました。
・今回は、南北朝の動乱と室町幕府のしくみについて詳しく取り上げていきます。
この記事は、たけのこ塾が中学生に向けて、TwitterやInstagramに投稿した内容をもとに作成しています。
ぜひ、あなたの勉強にご活用下さい。
①「建武の新政」の失敗と南北朝の動乱
1333年に鎌倉幕府が滅亡した後、後醍醐天皇が天皇を中心とした政治を行いました。
これを「建武の新政」といいます。
しかし、幕府を滅ぼすのに功績があった武士を冷遇し公家を重視した政治であったため武士に不満が広がり、わずか2年で失敗してしまいました。
後醍醐天皇に不満を持つ武士たちのリーダーとなった足利尊氏は、武士を中心とした政治の復活を目指し、後醍醐天皇を退けて新しい天皇を立てました。
これを北朝といいます。
足利尊氏は北朝から征夷大将軍に任命されて、室町幕府を開きました。
一方、後醍醐天皇は吉野(奈良県)に逃れて南朝をたてました。
朝廷が北朝と南朝に分かれた後、約60年にわたり日本各地で北朝側と南朝側の勢力による争いがつづきました。
これを南北朝の動乱といいます。
そして1392年、室町幕府3代将軍である足利義満によって、南朝と北朝が統一されました。
また、義満は京都の室町という所に御所を建て、「花の御所」と呼ばれました。
このように室町に御所が建てられたため、「室町幕府」と呼ばれるようになりました。
ちなみに修学旅行などで定番の「金閣」も、義満によって建てられました。
↓に「南北朝の動乱と室町幕府」について、覚えておかなければならない語句の問題が載っています。
ぜひ、チャレンジしてみて下さい!
【問題】( )の中に入る適当な語句を答えましょう。
(1) 後醍醐天皇による天皇中心の政治を( ① )という。
(2) (①)は2年で失敗し、足利尊氏が京都に新しい天皇を立てた。これを( ② )朝という。
(3) 後醍醐天皇は吉野(奈良県)に逃れて、( ③ )朝をたてた。
(4) (②)朝と(③)朝が、60年近くにわたり対立し戦った時代を( ④ )時代という。
(5) 足利尊氏は(②)朝から征夷大将軍に任命され、( ⑤ )を開いた。
(6) 3代将軍の( ⑥ )が、1392年に南北朝を統一する。
(7) (⑥)が京都の室町に建てた御所は、( ⑦ )とよばれる。
解答は↓の通りです!
【解答】①建武の新政、②北(朝)、③南(朝)、④南北朝時代、⑤室町幕府、⑥足利義満、⑦花の御所
問題は全部解けましたか?
間違えたところは解答を見て、しっかり覚えておきましょう!
「建武の新政」が失敗した理由について、記述問題で尋ねられることがよくあります。
◎模範解答
(例) 鎌倉幕府を滅ぼすのに功績があった武士を冷遇し、公家を重視した政治だったため、武士に不満が広がったから。
もし出題された場合、きちんと解答できるようしっかり覚えておきましょうね!
②室町幕府のしくみと守護大名
ここからは、足利尊氏によって開かれた室町幕府のしくみを詳しく見ていきたいと思います。
まずは下の図をご覧下さい。
まず、将軍の補佐役として置かれた役職が「管領」(かんれい)です。
管領は、足利一門である斯波氏・細川氏・畠山氏の有力な守護が任命されました。
続いて、京都の警備を行い御家人を統率する部署が「侍所」(さむらいどころ)です。
侍所の長官には、四職とよばれた京極氏・山名氏・赤松氏・一色氏の有力な守護が任命されました。
中央には、それ以外にも幕府の財政を取り扱う「政所」(まんどころ)や、裁判や記録を行う「問注所」(もんちゅうじょ)が置かれました。
一方、鎌倉時代に幕府があった鎌倉には「鎌倉府」が置かれ、関東を支配しました。
鎌倉府の長官は「鎌倉公方」(かまくらくぼう)といい、足利氏の一族がその地位についていました。
南北朝の動乱に伴い、鎌倉時代から続く地方の守護は、室町幕府から強い権限を与えられました。
守護は自分の領土を増やし、領土内の地頭や武士を自分の家来にしていき、やがて一国を支配するようになりました。
このような守護を、守護大名といいます。
※YouTubeに『鎌倉・室町幕府のしくみ』のゴロ合わせ動画を投稿しているので、↓のリンクからご覧下さい!
↓に「室町幕府と守護大名」について、覚えておかなければならない語句の問題が載っています。
ぜひ、チャレンジしてみて下さい!
【問題】( )の中に入る適当な語句を答えましょう。
(1) 室町幕府では将軍の補佐役として( ① )がおかれ、有力な守護が任命された。
(2) 室町幕府では、京都を支配し御家人を統率する( ② )がおかれ、長官には有力な守護が任命された。
(3) ( ③ )は鎌倉におかれ、関東の支配にあたった。その長官を( ④ )という。
(4) 地方の守護が国司の権限を吸収し、領国内の武士をまとめていった。このような守護を( ⑤ )という。
解答は↓の通りです!
【解答】①管領、②侍所、③鎌倉府、④鎌倉公方、⑤守護大名
問題は全部解けましたか?
間違えたところは解答を見て、しっかり覚えておきましょう!
鎌倉幕府の将軍を補佐する「執権」と、室町幕府の将軍を補佐する「管領」を間違えてしまう中学生がいます。
「執権」と「管領」を混同しないように気を付けましょう
※YouTubeに『執権・管領・老中』のちがいを覚えるゴロ合わせ動画を投稿しているので、↓のリンクからご覧下さい!
記事のまとめ
以上、中1社会・歴史「室町時代」室町幕府のしくみと守護大名について、詳しく説明してきました。
いかがだったでしょうか?
・これまでの歴史の流れと今回の記事のポイントをまとめると…
①建武の新政
・後醍醐天皇がはじめた天皇を中心とした政治
・武士を冷遇し公家を重視したため、武士に不満が広がり2年で失敗
②南北朝の動乱
・北朝→足利尊氏を征夷大将軍に任命する
・南朝→後醍醐天皇が吉野に逃れる
③足利義満
・1392年、南朝と北朝を統一する
・京都の室町に「花の御所」を建てる
・金閣を建てる
④室町幕府のしくみ
・将軍の補佐をする「管領」
・強い権限を与えられ一国を支配するようなった守護である「守護大名」
今回も最後まで、たけのこ塾のブログ記事をご覧いただきまして、誠にありがとうございました。
これからも、中学生のみなさんに役立つ記事をアップしていきます。
何卒、よろしくお願いします。