中1社会・歴史「鎌倉時代のまとめ③」元寇と鎌倉幕府の滅亡

元寇を行ったフビライハンのイラスト

 中学1年の社会の歴史分野で学習する「鎌倉時代

 前回の鎌倉時代のまとめ② 執権政治と鎌倉文化では、北条氏執権政治を行うプロセスと、鎌倉仏教をはじめとした鎌倉文化について詳しく解説しました。

・今回は、元寇鎌倉幕府の滅亡について詳しく取り上げていきます。

「元寇」モンゴルの襲来

鎌倉幕府の滅亡

鎌倉時代後半の年代を覚えるゴロ合わせ

 この記事は、たけのこ塾が中学生に向けて、TwitterやInstagramに投稿した内容をもとに作成しています。

 ぜひ、あなたの勉強にご活用下さい。

先生と元気いっぱいの子どもたち

①「元寇」モンゴルの襲来

 日本で鎌倉幕府が成立したころ、チンギス・ハンがモンゴル民族を統一して「モンゴル帝国」を建てました。

 その後、モンゴル帝国の5代目である「フビライ=ハンが、現在の北京である「大都(だいと)」に都を移して、国号(国の名前)を「元」と定めました。

 このフビライ=ハンが日本を従えようとして使者を送ってきましたが、鎌倉幕府の執権であった「北条時宗」がこの要求を拒否してしまいました。

 それで、元は征服していた高麗(当時の朝鮮半島にあった国)の軍とともに、日本に攻めてきました。

モンゴル民族を統一したチンギス=ハンの画像

 元軍は2回にわたり日本を襲来してきており、1回目の戦いを「文永の役」、2回目の戦いを「弘安の役といいます。

 また、この2度にわたる元軍の襲来のことを「元寇(げんこう)」といいます。

 1274年におこった「文永の役」では、元軍の集団戦法火器によって、幕府軍は苦戦しました。

 しかし、元軍は海上の戦いに不慣れだった上に(モンゴル軍の主力は騎馬軍団)、内紛(仲間割れ)がおこったり暴風雨に襲われたりしたため、引き揚げてしまいました。

 1281年の「弘安の役」では、海岸に築かれた石塁(石垣のこと)や幕府の御家人の活躍により、元軍は上陸できませんでした。

 さらに暴風雨にあったため、元軍は引き揚げてしまいました。

 結果、元は日本を征服することに失敗してしまいました。

 下の画像に「元寇・モンゴルの襲来」について、覚えておかなければならない語句の問題が載っています。

 ぜひ、チャレンジしてみて下さい!

元寇・モンゴルの襲来についての練習問題が載っている画像

 解答は以下の通りです!

元寇・モンゴルの襲来についての練習問題の解答が載っている画像

 問題は全部解けましたか?

 間違えたところは解答を見て、しっかり覚えておきましょう!

 テストで解答する際、「元寇」の「寇」を「冠(かんむり)」と間違って書いてしまう中学生が多いので、注意して覚えましょうね。

 また、「北条泰時」と「北条時宗」を混同している中学生も少なくありません。

北条泰時3代執権で、「御成敗式目」を制定した人物

北条時宗8代執権で、文永の役・弘安の役で元軍を退けた人物

 間違えないように、気を付けて下さいね!

楽しそうに勉強する子どもたち


②鎌倉幕府の滅亡

 鎌倉時代、経済活動がさかんだった畿内(近畿地方)を中心に、幕府の政治や荘園の支配に反抗し年貢を奪う武士が、あらわれました。

 このような武士は「悪党」とよばれました。

 悪党のような武士があらわれる一方、幕府に従っていた御家人は分割相続によって生活が苦しくなっていました。

 分割相続とは、「親の財産である土地を子どもたちが全員で分ける相続のやり方」でした。

 分割相続だと世代が経つほど、1人あたりの土地が狭くなるため、御家人の生活は苦しくなっていました。

楽しそうに勉強して手を挙げている男の子と女の子

 生活が苦しくなった御家人は借金をして、土地を失う者もいました。

 そこで、幕府は御家人を救うため、借金を帳消しにする「徳政令」を出しました。

 しかしその結果、御家人に金を貸す者がいなくなったため、借金ができなくなった御家人の生活はますます苦しくなってしまいました。

 生活が苦しい御家人や、元寇で十分な恩賞をもらえなかった御家人の間で、幕府への反感が強まっていきました。

鎌倉幕府の倒幕を行った後醍醐天皇のイラスト

 このような幕府の状況をみて、朝廷の「後醍醐天皇」は政治の実権を取り戻すため、倒幕を計画しましたが、失敗して隠岐(島根県)に流されてしまいます。

 しかしその後、新興武士である「楠木正成」や、有力御家人の「足利尊氏」たちも倒幕に参加したため、1333年に鎌倉幕府は滅んでしまいました。

 下の画像に「鎌倉幕府の滅亡」において、覚えておかなければならない語句の問題が載っています。

 ぜひ、チャレンジしてみて下さい!

鎌倉幕府の滅亡についての練習問題が載っている画像

 解答は、以下の通りです。

鎌倉幕府の滅亡についての練習問題の解答が載っている画像

 問題は全部解けましたか?

 間違えたところは解答を見て、しっかり覚えておきましょう!

勉強を頑張る子どもたちに囲まれた先生のイラスト


③鎌倉時代後半の年代を覚えるゴロ合わせ

 今回の記事も、元寇徳政令など年代を覚えておいた方がよい出来事がたくさん出てきました。

 これら鎌倉時代後半の年代を覚えるための、ゴロ合わせを載せておきますね。

 ぜひ、参考にしてみて下さい!

・1274年 文永の役がおこる

→ 元軍が意地になったよ(イジニナッタヨ)、文永の役

・1281年 弘安の役がおこる

→ 元軍が一気に敗戦(イッキニハイ)、弘安の役

・1297年 永仁の徳政令が出される

→ 一度に来るな(イチドニクルナ)、徳政令

 
※下のYouTubeにアップした動画でも、「鎌倉時代の年号の覚え方」について詳しく説明しておりますので、ぜひご覧下さい!
 

記事のまとめ

 以上、中1社会・歴史「鎌倉時代」元寇と鎌倉幕府の滅亡について、詳しく説明してきました。

 いかがだったでしょうか?

・これまでの歴史の流れと今回の記事のポイントをまとめると… 

フビライ=ハンの元軍が襲来する(元寇)

→1274年・文永の役、1281年・弘安の役

生活が苦しい御家人を救うため、幕府が徳政令を出す

後醍醐天皇が倒幕を計画するも、1度は失敗する

楠木正成足利尊氏も倒幕に参加したため、1333年に鎌倉幕府が滅亡する

 今回も最後まで、たけのこ塾のブログ記事をご覧いただきまして、誠にありがとうございました。

 これからも、中学生のみなさんに役立つ記事をアップしていきます。

 何卒、よろしくお願いします。

先生と元気いっぱいの子どもたち