中学1年の社会の歴史分野で学習する「鎌倉時代」
前回の「鎌倉時代のまとめ① 源平の争乱と鎌倉幕府」では、源頼朝が壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼして、鎌倉幕府を開くまでのプロセスを詳しく解説しました。
・今回は、執権政治や鎌倉文化について、以下の3つのポイントを取り上げます。
①執権政治
この記事は、たけのこ塾が中学生に向けて、TwitterやInstagramに投稿した内容をもとに作成しています。
ぜひ、あなたの勉強にご活用下さい。
①執権政治
鎌倉幕府を開いた源頼朝の死後、争いがおこり源氏の将軍は3代で絶えてしまいました。
そして、鎌倉幕府の政治の実権は北条氏に移りました。
北条氏とは、源頼朝の妻である北条政子の一族のことです。
この北条氏がついた役職を、執権といいます。
このように執権である北条氏が実権をにぎった政治のことを、執権政治といいます。
1221年には、朝廷の勢力を回復しようとして、後鳥羽上皇が幕府を倒すために挙兵しました。
しかし、幕府が派遣した軍により、朝廷の軍は破られてしまいました。
この戦いを承久の乱といいます。
この承久の乱のあと、幕府は朝廷を監視するために、京都に六波羅探題を設置しました。
そして、幕府の力が西日本にまで及ぶようになります。
1232年、3代執権の北条泰時が、「御成敗式目」という法令を定めました。
御成敗式目は、武士の慣習にもとづいて定められており、後々まで武士の法令のお手本となりました。
下の画像に「執権政治」について、覚えておかなければならない語句の問題が載っています。
ぜひ、チャレンジしてみて下さい!
解答は以下の通りです!
問題は全部解けましたか?
間違えたところは解答を見て、しっかり覚えておきましょう!
とくに幕府が六波羅探題を設置した目的が、中学社会の記述問題でよく出題されます。
「朝廷を監視するため」
というのが模範解答ですので、しっかり覚えておきましょう!
また御成敗式目を、江戸時代に出された法令である武家諸法度と間違える中学生がいますので、間違えないよう注意しましょう。
鎌倉時代前半の年代を覚えるための、ゴロ合わせを載せておきますね。
ぜひ、参考にしてみて下さい!
1221年 後鳥羽上皇が承久の乱をおこす
→ 人に不意打ち(ヒトニフイ)、承久の乱
1232年 北条泰時が御成敗式目を制定する
→ 人に見つ(ヒトニミツ)かり、御成敗
②民衆の生活と鎌倉文化
まずはじめに、鎌倉時代の民衆の生活について重要なポイントを見ていきましょう。
この時代に、米の裏作に麦をつくる二毛作が行われるようになりました。
また、寺社の門前や交通のよい場所などで、決まった日に定期市が開かれるようになりました。
次に、鎌倉文化について見ていきましょう!
ここで押さえておきたいポイントは、次の4つです。
①新古今和歌集
後鳥羽上皇の命により、藤原定家たちが「新古今和歌集」を編集しました。
奈良時代の「万葉集」、平安時代の「古今和歌集」と間違えないように、セットでおぼえておきましょう!
②金剛力士像
運慶により、力強い彫刻である「金剛力士像」がつくられました。
金剛力士像は東大寺南大門におかれました。
③平家物語と琵琶法師
源平の争乱がえがかれた軍記物である「平家物語」が、琵琶を弾きながら各地をめぐっていた琵琶法師によって、語り伝えられました。
④方丈記と徒然草
日本の三大随筆とよばれるうち、2つの随筆が鎌倉時代に書かれました。
1つは鴨長明によって書かれた「方丈記」、もう1つは兼好法師によって書かれた「徒然草」です。
ちなみに残りの1つは平安時代に清少納言によって書かれた「枕草子」ですので、ついでにおぼえておきましょう。
下の画像に「民衆の文化と鎌倉文化」において、覚えておかなければならない語句の問題が載っています。
ぜひ、チャレンジしてみて下さい!
解答は、以下の通りです。
問題は全部解けましたか?
間違えたところは解答を見て、しっかり覚えておきましょう!
③鎌倉時代の新しい仏教
鎌倉時代に広がった新しい仏教は、中学社会のテストでよく出題される分野です。
そして、6つの宗派とそれを広めた人物が出てくるので、覚えるのが大変なところでもあります。
しかし、鎌倉時代の仏教は、以下の3つに大きく分けることができます。
①「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という念仏を唱えて阿弥陀仏にすがれば、誰でも極楽浄土に生まれ変われるという念仏系
②座禅をすることで悟りに達することができるという教えである、禅宗
③「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」という、法華経の題目をとなえれば救われるという題目系
それでは、この3つの仏教を細かく見ていきましょう!
①念仏系(浄土宗、浄土真宗、時宗)
念仏系の宗派は、以下の3つです。
・法然(ほうねん)が広めた浄土宗
・法然の弟子である親鸞(しんらん)が広めた浄土真宗
・一遍(いっぺん)が広めた時宗(じしゅう)
ちなみに一遍の時宗では、おどりながら念仏を唱えるという「おどり念仏」を広めました。
おどり念仏は、現代でも行われている「盆踊り」の起源とされています。
②禅宗(臨済宗、曹洞宗)
禅宗は以下の2つです。
・宋から栄西(えいさい)が伝えた臨済宗(りんざいしゅう)
・宋から道元(どうげん)が伝えた曹洞宗(そうとうしゅう)
臨済宗は鎌倉幕府から保護され、京都や鎌倉を中心として広まりました。
曹洞宗は、北陸地方(中部地方の日本海側)を中心として、各地に広まりました。
③題目系(日蓮宗)
題目系は、日蓮(にちれん)が広めた日蓮宗のみです。
日蓮宗は、法華宗ともいいます。
日蓮は他の宗派や幕府を批判したため、幕府によって伊豆や佐渡に流されました。
しかし布教活動を続け、武士や農民に教えが広まりました。
ここまで解説してきた「鎌倉時代の新しい仏教」について、覚えておかなければならない語句がいくつかあります。
それらについてまとめた問題が、下の写真です。
問題の解答は、下の写真の通りです。
問題は全部解けましたか?
間違えたところは解答を見て、しっかり覚えておきましょう!
それでは最後に、鎌倉時代の新しい仏教の6つの宗派名と、それぞれの教えを広めた人物名を覚えるためのゴロ合わせを紹介します。
「法事で紳士が1時に来たら、エリちゃん『どうぞ』とニコニコしてる」
・法→法然、事(ジ)→浄土宗
・紳→親鸞、士(シ)→浄土真宗の真
・1→一遍、時→時宗
・エ→栄西、リ→臨済宗
・どう→道元、ぞ→曹洞宗
・ニ→日蓮、ニ→日蓮宗
さらに、語句の音で覚える方法も紹介します。
・親鸞の親(シン)と、浄土真宗の真(シン)
・栄西の西(サイ)と、臨済宗の済(ザイ)
・道元の道(ドウ)と、曹洞宗の洞(トウ)
鎌倉時代の新しい仏教は、中学歴史のテストでよく問われるところです。
自信がない中学生は、しっかり確認しておきましょう!
記事のまとめ
以上、中1社会・歴史「鎌倉時代」執権政治と鎌倉文化について、詳しく説明してきました。
いかがだったでしょうか?
・これまでの歴史の流れと今回の記事のポイントをまとめると…
①執権の職についた北条氏は、鎌倉幕府で政治の実権をにぎる
②1221年、承久の乱で後鳥羽上皇が挙兵したが、幕府に敗れる
③承久の乱の後、朝廷を監視するために六波羅探題がおかれる
④鎌倉時代、二毛作が広がり定期市が開かれるようになる
⑤鎌倉文化の代表的な作品
(1)「新古今和歌集」藤原定家らが編集
(2)「金剛力士像」運慶の彫刻作品。東大寺南大門におかれる
(3)「平家物語」軍記物で琵琶法師により語り伝えられる
(4)「方丈記」鴨長明の作品、「徒然草」兼好法師の作品
⑥鎌倉時代の新しい仏教
(1)念仏系→「浄土宗」法然、「浄土真宗」親鸞、「時宗」一遍
(2)禅宗→「臨済宗」栄西、「曹洞宗」道元
(3)題目系→「日蓮宗(法華宗)」日蓮
今回も最後まで、たけのこ塾のブログ記事をご覧いただきまして、誠にありがとうございました。
これからも、中学生のみなさんに役立つ記事をアップしていきます。
何卒、よろしくお願いします。