中1歴史「ギリシャ・ローマ文明」押さえておくべきポイントを解説!

 中学歴史の最初の方に学習する「ギリシャ・ローマ文明

 この単元では、特にギリシャ文明」「ヘレニズム」「ローマ文明について学習します。

 今回はこれら3つの内容について、押さえておくべきポイントを詳しく説明していきたいと思います。

 この記事でお教えする内容は、以下の通りです。

 ① ギリシャ文明の3つのポイント

 ② ヘレニズムとアレクサンドロス大王

 ③ ローマ文明の3つのポイント

 ④ ギリシャ・ローマ文明 練習問題

① ギリシャ文明・3つのポイント

 ではさっそく、ギリシャ文明について詳しく見ていきましょう!

 ここでは↓に挙げた、ギリシャ文明で押さえておくべき3つのポイントについて解説していきます。

 ① ポリス(都市国家)とは?

   ② アテネで行われた民主政とは?

 ③ ギリシャ文明の特徴

 では順に解説していきます!

(ⅰ) ポリス(都市国家)とは?

 ポリス(都市国家)とは、広い領域を治める国家ではなく、都市を中心にして形成された国家のことです。

 ポリスは、紀元前8世紀ころからギリシャ人によって地中海の各地につくられました。

 代表的なポリスに、民主政が行われていたことで有名なアテネや、軍事国家として有名で「スパルタ教育」の由来にもなったスパルタなどがあります。

古代ギリシャ人の服装をしたかわいいネコのイラスト

(ⅱ) 民主政とは?

 ここでは、先ほど出てきた代表的なポリスの1つである、アテネで行われていた民主政について説明します。

 一般的に、民主政とは君主(国王など)が権力を握り独断的に行う政治ではなく、人民が権力を行使して行う政治のことをいいます。

 アテネでは、国の政治を決める民会という会議に、成年男子全員が出席して政治参加する直接民主政治が行われていました。

(ⅲ) ギリシャ文明の特徴

 ギリシャ文明は、紀元前5世紀頃に全盛期をむかえました。

 特に、演劇・彫刻・哲学・数学・医学などの分野で発達していました。

 のちのローマ文明と比べると、ギリシャ文明は人間中心の文化であり、美術・文学・学問分野で多くの文化遺産や文化人が生み出しました。

 代表的な文化遺産として、教科書などにも載っているアテネのパルテノン神殿がたいへん有名です。

 パルテノン神殿には、アテネの守護神である女神アテナが祭られていました。

パルテノン神殿の写真


②ヘレニズムとアレクサンドロス大王

 続いて、ヘレニズムについて詳しく見ていきますね。

 ここでは↓に挙げた、ヘレニズムとアレクサンドロス大王について解説していきます。

 ① アレクサンドロス大王の東方遠征

   ② ヘレニズムの特徴

 では各々解説していきますね。

(ⅰ) アレクサンドロス大王の東方遠征

 アレクサンドロス大王は、ギリシャの北方のマケドニアの国王でした。

 紀元前4世紀、大王が率いるマケドニアはギリシャを征服し、さらに東方遠征を行いました。

 大王が向かった東方は、オリエントと呼ばれていた地域で、オリエントはエジプトやメソポタミアなどをふくむ地域を指す言葉でした。

 ちなみに、オリエントとは「太陽のでるところ」という意味で、ローマ人から見て東方だったことがその由来とされています。

 当時このオリエント一帯は、この広大な地域を統一した大帝国であるペルシャに支配されていました。

 ペルシャは紀元前6世紀にオリエントを統一し、さらに紀元前5世紀にギリシャに攻め込むも、ポリスの連合軍に撃退されていました。

 アレクサンドロス大王は、この巨大な帝国であるペルシャを征服し、さらにインダス川にまで征服地を広げました。

 しかし、大王はわずか32歳の若さで亡くなったため、その後は大王の築いた大帝国も分裂してしまいました。

アレクサンドロス大王のイラスト

(ⅱ) ヘレニズムの特徴

 アレクサンドロス大王がギリシャからオリエントさらにインド西部にいたる大帝国を築いたことで、ギリシャ文明が東方に伝わりました。

 このギリシャ文明とオリエントの文化が融合したことで生まれた文化ヘレニズムといいます。

 ギリシャのミロス島で発見された有名なミロのビーナスは、ヘレニズムの文化を代表する彫刻です。

 また、ヘレニズムの文化は後のインド・中国・日本にも影響を与えました。

ミロのビーナスのイラスト


③ ローマ文明・3つのポイント

 それでは最後に、ローマ文明について詳しく見ていきます。

 ここでは↓に挙げた、ローマ文明で押さえておくべき3つのポイントについて解説していきます。

 ① 都市国家ローマの成り立ち

   ② ローマ帝国の成り立ち

 ③ ローマ文明の特徴

 では順に解説していきたいと思います。

(ⅰ) 都市国家ローマの成り立ち

 ギリシャの西にあるイタリア半島の中部に、イタリア系の人々によってつくられた都市国家ローマがありました。

 都市国家ローマはもともと、国王が国の政治を統率するトップの地位に就いている王政という政治体制でした。

 しかし紀元前6世紀に、王政を廃止し貴族による共和政の国家になりました。

 共和政とは、王政と異なり国の政治のトップとして君主(王や皇帝など)をおかない国家の形態のことです。

 共和政となったローマは、その後、イタリア半島全体に支配地域を広げていきました。

古代ローマ人の男性のイラスト

(ⅱ) ローマ帝国の成り立ち

 ローマはイタリア半島全体にまで支配を広げた後、紀元前30年には地中海を囲む地域を統一しました。

 このようにしてローマの支配地域は広くなりましたが、その一方で平民が没落し貧富の格差が大きくなったことで内乱が起こり国内は政治的に不安定な状況になっていました。

 そこで、紀元前27年にローマは皇帝による帝政の国へと変わることで、国内を安定させました。

 また、帝政が開始されてからのローマのことを、特にローマ帝国といいます。

 このローマ帝国は、1~2世紀ごろに全盛期を迎えました。

(ⅲ) ローマ文明の特徴

 ローマでは、道路網を整えて、水道・浴場・闘技場などを建設し、法律や暦を整備するなど、実用的な文化が発達しました。

 ローマの文化では、水道橋コロッセオなどが有名ですね。

古代ローマの水道橋の写真

古代ローマのコロッセオの写真

 ローマの法律や暦は、後のヨーロッパでも長く使用されるなどヨーロッパ文化の源泉となりました。

※YouTubeに「ギリシャ・ローマ文明」についての解説動画を投稿していますので、↓のリンクからご覧下さい!

【動画】中学歴史「ギリシャ・ローマ文明」


④ ギリシャ・ローマ文明 練習問題

 最後に、この記事の内容を理解できたかどうかを↓の問題で確認しましょう。

【問】以下の文中の( )に入る適当な語句を答えましょう。

  (1) 紀元前8世紀ごろから、ギリシャ人たちは地中海各地にアテネやスパルタなどの( ① )を造った。

  (2) 紀元前4世紀、マケドニアがギリシャを征服し、さらに( ② )大王が東方に遠征してペルシャを征服した。

  (3) (2)の結果、ギリシャの文明が東方に広まり、オリエントの文化と融合してできた文化を( ③ )という。

  (4) ( ④ )帝国は首都をローマとし、道路網を整えて、各地に水道や浴場、闘技場などを建設し、法律や暦も整備した。

  解答は↓の通りです。

【解答】①ポリス (都市国家)、②アレクサンドロス(大王)、③ヘレニズム、④ローマ(帝国)

 すべて正解することができましたか?

 間違えた箇所はよく復習して、しっかり覚えておきましょう!


記事のまとめ

 以上、中1歴史で学習する「ギリシャ・ローマ文明」について、詳しく解説してきましたが、いかがだったでしょうか?

 今回の記事のポイントをまとめると…

 ① ギリシャ文明・3つのポイント
  (ⅰ) ポリス(都市国家): 都市を中心にして形成された国家(アテネスパルタなど)
    (ⅱ) 民主政: アテネでは成年男子全員が民会に出て直接政治に参加
  (ⅲ) ギリシャ文明: 人間中心の文化で、美術・文学・学問分野が発達
  
 ② ヘレニズムとアレクサンドロス大王
  (ⅰ) アレクサンドロス大王の東方遠征: ペルシャを征服したが大王の死後に帝国は分裂
    (ⅱ) ヘレニズム: ギリシャ文明オリエントの文化が融合して生まれた文化
 
 ③ ローマ文明・3つのポイント
  (ⅰ) 都市国家ローマ: 紀元前6世紀頃に王政を廃止し貴族による共和政の国家へ
    (ⅱ) ローマ帝国: 紀元前27年に皇帝による帝政の国へ変わった
  (ⅲ) ローマ文明: 実用的な文化で、ヨーロッパ文化の源泉となった
 

 今回も最後まで、たけのこ塾のブログ記事をご覧いただきまして、誠にありがとうございました。

 これからも、中学生のみなさんに役立つ記事をアップしていきますので、何卒、よろしくお願いします。

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