中学1年の社会の歴史分野で学習する「平安時代」。
前回は「平安時代のまとめ➀ 平安京と天台宗・真言宗」について、詳しく解説しました。
・今回は平安時代の中ごろについて、以下の3つのポイントを取り上げます。
この記事は、たけのこ塾が中学生に向けて、TwitterやInstagramに投稿した内容をもとに作成しています。
ぜひ、あなたの勉強にご活用下さい。
①宋と高麗について
7世紀、唐が中国を、新羅(しらぎ)が朝鮮半島を、それぞれ統一しました。
しかし、日本が平安時代である9世紀になると、中国大陸や朝鮮半島でそれぞれ新しい国が統一をはたします。
中国では、唐がほろんでいくつかの国ができた後、宋(そう)という国が中国を統一します。
朝鮮半島では、新羅がほろんで、高麗(こうらい)という国が朝鮮半島を統一します。
つまり、
【中国】
唐 → 宋
【朝鮮半島】
新羅 → 高麗
と、それぞれ国がかわったということです。
ここで、もう1つ重要なポイントがあります。
それは、唐がおとろえたことにより、894年に遣唐使が停止されたことです。
菅原道真の訴えにより、遣唐使の停止が決まりました。
「遣唐使の停止の年号の暗記法を紹介しましょう!
894年
→ 白紙(ハクシ)に戻そう、遣唐使
中国の宋という国は平安時代の末期、のちに登場する「平清盛」が「日宋貿易」を行ったことでも有名ですので、しっかり覚えておきましょう!
②摂関政治とは?
「摂関政治」とはどんな政治なのか?
中学社会の平安時代のテストで、記述問題としてよく出題されます。
教科書的な説明をすると、次のようになります。
「藤原氏が、自分の娘を天皇のきさきにして、その子を天皇とし、幼いときは摂政に、成人になってからは関白の位につき実権をにぎる政治」
ここで、「摂政」と「関白」の違いについて確認しておきましょう。
摂政とは、天皇が幼いときや女性のとき、天皇の代わり政治を行う職のことです。
飛鳥時代の聖徳太子も、女性の推古天皇の摂政でしたね。
一方、関白とは、成人した天皇を助けて、政治を行う職のことです。
このように、藤原氏は自分の娘を天皇のきさきにし、その子を(つまり藤原氏にとっては孫にあたる)天皇にすることで、摂政・関白の位につき、政治の実権を握っていました。
とくに、藤原道長・頼通(よりみち)の父子の時代、摂関政治が最も安定していました。
頼通は、10円玉にも描かれている「平等院鳳凰堂」を建立したことでも有名ですね!
摂政と関白の違いや、摂関政治を説明する記述問題など、よくテストに出てきますので、しっかり覚えておきましょう!
また、藤原道長・頼通の父子の名前も、しっかりセットで覚えておきましょう!
③摂関政治と宋・高麗のまとめ問題
ここまで解説してきた「平安時代」の「摂関政治」と「宋・高麗」について、覚えておかなければならない語句がいくつかあります。
それらについてまとめた問題が、下の写真です。
問題の解答は、下の写真の通りです。
①唐がほろんで、宋が中国を統一
②摂関政治についての説明
③藤原道長・頼通の父子
以上3点は、中学歴史において絶対に押さえておかなければならないポイントです。
自信がない中学生は、しっかり確認しておきましょう!
④平安時代・前半の年号の覚え方
・794年
→ナクヨうぐいす平安京
・894年
→白紙(ハクシ)に戻そう遣唐使
・935年
→戦(イクサ)にGo! 将門の乱
・1016年
→遠い昔 道長、摂政に
記事のまとめ
以上、中1社会・歴史「平安時代」摂関政治と宋・高麗について、詳しく説明してきました。
今回も最後まで、たけのこ塾のブログ記事をご覧いただきまして、誠にありがとうございました。
次回は「平安時代のまとめ➂ 国風文化と浄土信仰」の記事をアップしますので、ぜひご覧下さい。
これからも、中学生のみなさんに役立つ記事をアップしていきますので、何卒よろしくお願いします。
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