中学1年の社会の歴史分野で学習する「平安時代」。
前回は「平安時代まとめ➂ 国風文化と浄土信仰」について、詳しく解説しました。
・今回は、平安時代の末期について、以下の3つのポイントを取り上げます。
この記事は、たけのこ塾が中学生に向けて、TwitterやInstagramに投稿した内容をもとに作成しています。
ぜひ、あなたの勉強にご活用下さい。
①武士のおこり
それでは「武士がどのようにしておこってきたのか」、順を追って見ていきましょう!
平安時代、地方では豪族が自分の土地を守るため、武装するようになりました。
都では、武官が貴族の警備をすることで、実力が認められるようになっていました。
そして、都の武官と地方の武官が交わることで、武士がおこり武士団ができました。
やがて地方では、朝廷に対して反乱をおこす武士団があらわれました。
935年、関東では平将門が反乱をおこしました。
939年、瀬戸内海地方では藤原純友が反乱をおこしました。
一方、朝廷はこれらの反乱をおさめるために、武士団を使うようになりました。
その後、武士団の中でも天皇の子孫である、源氏と平氏が勢力を拡大してきました。
東北地方でおこった戦乱をおさめた源義家によって、源氏は東日本で勢力をのばしました。
一方、平氏は西日本に勢力をのばしました。
・以下の2点は中学社会のテストでよく問われますので、しっかり覚えておきましょう!
➀武士の反乱である、平将門の乱と藤原純友の乱
②源氏は東日本に、平氏は西日本に勢力をのばした。
②「院政」とは?
ここでは「院政」について説明したいと思います。
平安時代の中ごろから、藤原氏が実権をにぎった摂関政治が行われていました。
その後、後三条天皇という藤原氏と関係がうすい天皇が即位します。
そして、後三条天皇の子どもである白河天皇が即位します。
その後、白河天皇は位をゆずり上皇になります。
白河上皇は、上皇になった後も政治の実権をにぎり続けました。
上皇や上皇の住まいを「院」といったので、上皇が実権をにぎり行った政治を「院政」といいます。
さらに、上皇は武士の力を利用したため、武士もさらに力をもつようになりました。
天皇の位をゆずって上皇になったのちも、上皇の御所で政治を行うことを「院政」といいました。
中学社会のテストでよく問われますので、覚えておきましょう!
③武士のおこりと院政のまとめ問題
ここまで解説してきた「平安時代」の「武士のおこり」と「院政」について、覚えておかなければならない語句がいくつかあります。
それらについてまとめた問題が、下の写真です。
問題の解答は、下の写真の通りです。
①関東で平将門の乱、瀬戸内海地方で藤原純友の乱
②東日本で源氏、西日本で平氏が勢力をのばす
③1086年、白河上皇が院政をはじめる
以上3点は、中学歴史において絶対に押さえておかなければならないポイントです。
自信がない中学生は、しっかり確認しておきましょう!
④平安時代・後半の年号の覚え方
1086年 白河上皇が院政を開始する
→ 今は無(イマワム)敵、白河上皇
1167年 平清盛が太政大臣の位につく
→ ヒーローな(ヒイローナ)んだ、平清盛
1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅びる
→ 言い訳ご(イイワケゴ)無用、壇ノ浦の戦い
記事のまとめ
以上、中1社会・歴史「平安時代」武士のおこりと院政について、詳しく説明してきました。
いかがだったでしょうか?
・これまでの歴史の流れと今回の記事のポイントをまとめると…
➀奈良時代~平安時代のはじめ頃
・律令国家となり、役人である貴族が力をもつようになる
↓
②平安時代の中頃
・貴族の中でも藤原氏が政治の実権をもつ、摂関政治が行われる
↓
③平安時代のおわり頃
・上皇が政治の実権をもつ院政が行われる
・一方で、①~➂の時期に少しずつ武士が力をつけていた
・そして、院政を行う上皇がその力を利用し、武士も政治に関わるようになる
今回も最後まで、たけのこ塾のブログ記事をご覧いただきまして、誠にありがとうございました。
これからも、中学生のみなさんに役立つ記事をアップしていきますので、何卒よろしくお願いします。
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