中学1年の社会の歴史分野で学習する「飛鳥時代」。
この時代では、以下の3つの内容が重要です。
この記事は、たけのこ塾が中学生に向けて、TwitterやInstagramに投稿した内容をもとに作成しています。
ぜひ、あなたの勉強にご活用下さい。
①聖徳太子の政治
聖徳政治の行った政治について、覚えておいたほうがよい語句がいくつかあります。
それらについてまとめた問題が、下の写真です。
問題の解答は、下の写真の通りです。
聖徳太子は、女性である推古天皇の「摂政」になり、天皇を中心とする政治のしくみを整えました。
「摂政」とは、天皇が女性や子ども立った場合、天皇に代わり政治を行う役職です。
◎聖徳太子が行った政治は、以下の4つです。
①、家柄にとらわれず、才能や功績のある人物を役人にとりたてるため、「冠位十二階の制度」を行いました。
②、天皇につかえる役人の心構えを示す「十七条の憲法」を制定しました。
③、隋の制度や文化をとりいれるため、小野妹子らを「遣隋使」として派遣しました。
④、法隆寺を建てるなど、仏教を広めました。
聖徳太子の行った以上4つの内容は、たいへん重要です。
暗記が苦手な中学生のため、この4つを覚えるためのゴロ合わせを作成しました。
「缶けり、ケンケン、ぶつかった!」
・缶(カン)→冠位十二階の制度
・ケン→十七条の憲法
・ケン→遣隋使の派遣
・ぶつ→仏教を広める
缶けりしている子どもと、ケンケンしている子どもがぶつかっているところを、イメージして覚えて下さいね。
②大化の改新とその進展
中大兄皇子と中臣鎌足が行った「大化の改新」で、覚えておかなければならない語句がいくつかあります。
それらについてまとめた問題が、下の写真です。
問題の解答は、下の写真の通りです。
中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我蝦夷・入鹿の親子をたおしてはじめた政治改革を、「大化の改新」といいます。
大化の改新後、土地と人民を国のものとする「公地・公民」の制度がすすめられました。
また、日本ではじめて「大化」という年号が使われました。
このころ朝鮮半島では、唐と新羅が百済・高句麗をほろぼしていました。
日本は百済を助けるため軍を送りましたが、「白村江の戦い」に敗れました。
その後、新羅が朝鮮半島を統一しました。
大化の改新の進展についても、覚えておいたほうがよい語句があります。
それらについてまとめた問題が、下の写真です。
問題の解答は、下の写真の通りです。
中大兄皇子は即位して天智天皇になり、はじめて全国の戸籍をつくりました。
「戸籍」とは、家族ごとに氏名・性別・年齢が書かれた名簿のようなものです。
天智天皇の死後、皇位をめぐり起こった争いを「壬申の乱」といいます。
壬申の乱は、天智天皇の子どもである大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)の争いでした。
壬申の乱の結果、大友皇子に勝利した天武天皇が即位しました。
このように、天武天皇は自ら武力を用いて天皇の位についたので、天皇の力は強大になりました。
そして、天武天皇とその後に即位した持統天皇のころ、大王(おおきみ)が天皇と称するようになりました。
また、国号として「日本」が使われるようになりました。
大化の改新後、天皇を中心とした律令国家への歩みがはじまります。
聖徳太子の政治から律令国家の成立までの流れを、しっかり押さえておきましょう!
聖徳太子・天智天皇・天武天皇を経て、豪族たちが力を持っていた時代から、天皇を中心とした国へと移り変わっていったことを頭に留めておきましょう!
③飛鳥時代の年号の覚え方
最後に、飛鳥時代の年号を覚えるためのゴロ合わせを紹介します。
・607年 → 群れなす、遣隋使の派遣
・645年 → 無事故でいこう!大化の改新
・663年 → ムダで無残だ、白村江の戦い
・672年 → ロクな事件じゃない、壬申の乱
記事のまとめ
以上、中1社会・歴史「飛鳥時代」について、詳しく説明してきました。
今回も最後まで、たけのこ塾のブログ記事をご覧いただきまして、誠にありがとうございました。
これからも、中学生のみなさんに役立つ記事をアップしていきますので、何卒よろしくお願いします。
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